アップル社の誤算 2
この業界のヘンリー・フォードを待ちわびながらも、とらえどころのない大衆を相手に商売をしようと思うものはほとんどいなかったのです。
数年後、パーソナル・コンピューター界のフォードはアップル社のスティーヴン・ジョブズであるかに見えました。
シリコン・バレーにいる両親の養子であるジョブズがその高い地位についたのは、長い間ヒッピーとして荒野で指導者や先祖の姿を探し求め、菜食主義や原始的な絶叫療法を試し、ジーンズとサンダル姿で1970年代をうろつきまわった末のことでした。
多くの企業家のたどった道を踏んで、彼も若き日の苦悩がその上昇活動のエネルギーとなりました。
反抗、失敗、自責の念、裏切り、自己実現など、情緒的混乱や変化を求める若いエネルギーが、突然融合して抑えがたい創造の力となりました。
製品を決め、金をため、部品をかき集め、製造体制を整備し、会社を創設するという、何かにとりつかれたような5年間でした。
その努力のなかで、ジョブズは心身ともに自分を取戻し、事業の伸展とアップル・コンピューターの販売、そしてコンピューターの世界の神秘のなかに、自分の仕事と目的、自己のアイデンティティと救済を見つけます。
1981年末には、アップルHはアメリカでベストセラーのコンピューターとなりました。
しかし、もしジョブズがこの時、自社の市場占有率の持つ意味を正確に把握していれば・・・
彼にはこの新しい産業におけるフォードになる機会があり、IBMさえも攻め落とすことのできない砦を築いただろうと思われるのです。